坂上

ズームイン‼朝!

開局記念日の4月1日の朝一番は、弥彦山(やひこやま、634m)から「ズームイン‼朝!」(以下ズーム)の生放送だった。

この山の麓には、越後一宮(えちごいちのみや)として知られる弥彦神社がある。この山の持ち主だ。新潟県の放送局はNHKも含めて全て、弥彦神社から山頂付近の場所をお借りし送信所を建てている。この弥彦山は越後平野の海側に位置していて、この送信所だけで県内の9割近い家庭にテレビ電波を送ることができるという、地理的に絶好の位置にある。因みに、関東地区にテレビ電波を送っている東京スカイツリーの高さも、弥彦山と同じ634(むさし)mである。

メインキャスターの徳光和夫さんは、県民会館で前日の夜に開催された前夜祭の歌番組の司会を終えると、そのまま新潟に泊まり、翌朝の生放送を新潟から行った。この記念すべき一発目、徳光さんの相方を務めたのがTNNテレビ新潟の栄えあるズーム初代キャスター、小林美樹ちゃん。大学を失業したばかりのフレッシュマンだ。

小林美樹の名前を聞いてピンとくる方もいると思う。そう、森昌子や山口百恵、桜田淳子を生んだ伝説の番組「スター誕生」だ。萩本欽一さんの司会で一世を風靡した、今でいうオーディション番組である。小林美樹ちゃんは、このスタ誕で歌手デビューしたことがあるという元アイドル歌手だった。花の中三トリオと同年代だ。当然、人気はバツグン!どこに行っても「美樹ちゃん、美樹ちゃん」で大変だった。テレビ新潟のキャスターは元アイドル歌手という、時代を先取りしたようなキャスティングだった。

自分もズームのディレクターを務めたが、この番組は日本テレビ系列の朝の目玉番組だった。番組の冒頭、徳光さんの「〇〇にズームイン!」の決め言葉&指差しポーズで各局お天気リレー中継が始まる。軽快な音楽に乗って、全国各地の日テレ系列局のキャスターが大きな温度計を持ちながら今朝の気温や朝の様子を伝えるという、当時としては画期的な番組だった。視聴率も尻上がりに良くなり、NHKを抜いてこの時間帯トップにもなったこともある。名物コーナーもたくさん生まれた。巨人や阪神タイガーズ、ドラゴンズ、広島カープなどのプロ野球イレコミ情報を始め、ウィッキーさんのワンポイント英会話などがあった。朝の通勤通学途中の人にウイッキーさんが英語で話しかけるのだが、皆逃げていくというハプニング続出のコーナーだった(笑)。

この番組は、北海道から九州まで、日テレ系列の担当ディレクターが毎月1度は集まって、2日間にわたってネタ会議を行うなど、大変な労力と予算をかけて作られていた。伝説のプロデューサー、齋藤太朗(たかお)さん、通称ギニョさんも毎回出席されていて、優しくも厳しい指導がとても勉強になった。それでも毎月ネタをひねり出すのが大変で、担当Dはいつも頭を悩ませていた。

漸くネタを通していよいよ全国放送となるのだが、事前のVTR取材、編集、そして当日の現場からの生中継。3分間の全国放送をキチンと終えるためのハードルはメチャクチャ高かった。日テレ系列のディレクター、技術陣、アナウンサーなど、この番組に関わった多くのスタッフが、ここでテレビの基本を叩き込まれたことだろう。私もそのうちの一人である。

ギリギリの作業になることも多く、徹夜で編集して、そのまま中継現場に向かうといったこともしばしばだった。殆どの系列局がそんな状況だったと思う。日テレのスタッフはよくソファや椅子で寝ていた。帰れなかったのだ。

タイムスケジュールはこんな感じだ。

朝7時から始まる生放送に間に合わせるためには、リハーサルもあるので1時間前の6時にはカメラや照明、マイクのチェックを終えてセットアップしたい。現場の準備に1時間かかると考えると5時には現場についていたい。ということは中継現場まで車で1時間とすると4時には会社を出発しなければならない。中継車は高価で大事な精密機材を積んでいるので、安全運転が鉄則。スピードは出せない。時間的な余裕が必要になる。さらに会社から自宅まで30分とすると、3時半に自宅を出発する。となると3時には遅くとも起きなくてはならない。準備に時間がかかる人は、もっと早く起きなくてはならない。

逆算していくとどんどん時間がとられる。放送前日の夜に仲間と一杯、なんてことは出来ない。朝の生放送番組とは、皆さんの想像以上に大変なのだ。何度遅刻した夢を見てドッキリしたか。鈍感な自分でもプレッシャーは物凄かった。昼間は昼間で別のロケがあったりするので、眠る時間などない。睡眠時間がどんどん削られていくことになる。ズームのスタッフは誰もが睡眠不足だった。

メインキャスターは自宅ではなく、局のすぐ近くに部屋を借りて暮らしていたというのは当然のように思う。少しでも遠方にいると、何かが起きた時に間に合わないリスクが出てくる。リスクはできるだけ低くしなければならないのだ。

当時はインターネットの無い時代。人気番組だったので、「こだわりの逸品」というコーナーで美味しそうな食品などを紹介すると、会社やお店の電話が何日も鳴りやまないという事態になった。電話対応だけで精一杯で、全く仕事ができない状態になる。それが数か月続くこともあった。1か月で2年分の注文を受けたなんてこともあったと聞く。それほどまでに、ズームという人気番組の全国放送の影響というものは凄かったのである。

どこの局でも、朝の番組スタッフの過酷な仕事は今も変わらない。視聴者の皆さんには、朝の番組を視る際、その辺を考えながら温かい目で見て欲しい。