坂上

新社屋引っ越し

仮事務所で始まった社会人生活も約半年が過ぎ、いよいよ新社屋への引っ越しとなった。寂しいが、お世話になった仮事務所ともいよいよお別れである。

新社屋は、信濃川沿いにあった日本軽金属のアルミ工場跡地に建てられた。平べったい2階建てながら、展望台がある大きなテレビ塔がいやでも目立つ造りになっている。このテレビ塔は「TNNタワー」と呼ばれ、その展望台はエレベーターで上がることができるようになっている。新しいテレビ局ということで周囲の関心も高く、この展望台にスポンサーや代理店の担当者の皆さんを度々案内した。

エレベーターは2階から10階と表示されている展望台までの直通。当時は周囲に高い建物もなく、眺めは最高だった。眼下には日本一の大河、信濃川が流れ、その向こうには日本海、そして佐渡島が遠望できる。日本海に夕日が沈む時間は最高の眺めとなる。南西方向には全県にテレビ電波を流すメインの送信所が建つ弥彦山が見える。手前は青々とした一面の水田。東には越後山脈の雪山が連なり、飯豊連峰の主峰、大日岳が残雪に輝いている。360度の雄大な眺めに誰もが声を上げる。

テレビスタジオも約100坪あり、当時としては県内一の大きさだった。番組の収録は勿論だが、スポンサーの展示会などもここで行うことができた。自分も自動車ディーラーの新車発表会を行ったことがある。裏口から車が搬入できる造りになっているのだ。

スタジオでのイベントは、新しいテレビ局の見学ができるということもあって一般の方の関心も高く、スポンサーからの引き合いも多かった。とにかく新局なので、新しいスポンサーを獲得するためには何でもやろうという姿勢だった。この精神は今でも生きていて、スタジオやロビーを使ったイベントが度々行われている。会場費無料で催事を実施することができるので、スポンサーにとっては利用価値が高いと評価されているのだ。

しかし、この新社屋には一つ大きなマイナスがあった。この地域は工場地帯だったので街中からも遠く、周囲に飲食店などのお店が全然なかった。バスの便も悪く、車通勤しかないような郊外だった。このため、仮事務所の時のような、仕事の後の一杯ということがかなり減ってしまった。社内外とのコミュニケーションにとっては大きなマイナスに働いてしまったように思う。

しかし、沁みついた習慣というものはそうそう簡単には無くならない。営業部の同僚は、夜な夜な信濃川を越えての古町通いが続くことになったのは言うまでもない。